宇宙こぼれ話

丹尾 Space Development Episode 3

アメリア・イアハートとハウランド島

 「ハワイに行くなら、ダイヤモンドヘッドに行くといいよ。確か、麓に女性パイロットのアメリア・イアハートの記念碑があるから、ぜひ、それを見てくるといい。」 恩師の故木村秀政先生の研究室に仲人をお願いにお伺いした際のアドバイスだった。

 それから20数年がたった1998年3月、宇宙往還技術試験機(HOPE-X)の開発に関係する米国の企業や研究機潤を訪問する機会を得て、ロサンゼルス国際空港の滑走路東端に位置するウエスティンホテルに一週間程滞在した。

 滞在して何日目かにホテル正面の道路の反対側に大きな看板があることに気が付いた。そこには、美しさだけでなく、知性と気品を感じさせる女性の横顔が大きく描かれていた。アメリア・イアハートだった。

 帰国してからナショナル・ジオグラフィック誌のバックナンバーを見ていたところ、1998年1月号にイアハートの特集記事があるのを見つけた。記事によると、1935年1月11日から12日にかけて、ホノルルからサンフランシスコの東、オークランドまでの約3、875kmを単独で飛行していた。

 それ以前に彼女の名を世界的に知らしめた2回の飛行があった。1回目は1928年、女性として史上初の大西洋横断飛行。この時は同乗者として。そして2回目は、1932年の彼女自身の操縦による史上初の女性による大西洋単独横断飛行である。1927年のリンドバーグによる単独横断飛行から僅か5年後のことであった。

 さらに1937年、イアハートは最後となる飛行に出る。これまで誰も試みたことのない、距離が最も長い赤道周りの世界一周飛行である。

 5月21日、銀色に輝く双発のロッキード・エレクトラに乗りオークランドを東周りに出発。マイアミから南米、アフリカ、インド、オーストラリアを経て6月29日にニューギニヤのラエに到着。全行程4万6、670kmの3/4の飛行を終え、一区間の飛行としては最も長いラエから、面積わずか1.6平方kmの赤道上の小さな島、米国領ハウランド島までの4、113kmの飛行に飛び立つ。しかし、そこで消息を絶つ。7月2日であった。イアハートは、ハウランド島からホノルル経由で誕生日までにオークランドに戻る予定だった。

 素直で気取らない性格の彼女が残した言葉の一つ。「大西洋を飛行したのは、飛びたかったからです。自分の好きなことに、楽しみながら全力で取り組むことが、成功への早道だし、自分に正直に生きることにもなります。」

 アメリア・イアハート、1897年7月24日、米国カンザス州アッチソン生まれ。
太平洋に消えたとき39歳。米国を訪問した前年は、生誕100周年であった。ホテル前の看板はそれを記念したものだった。

 彼女の最後の飛行から67年後、HOPE-Xは種子島から打ち上げられ、地球を一周し、110分後に、ハウランド島を右翼下に見ながら、さらに東の赤道上に位置する島―クリスマス島ーを目指して飛行予定だった。

注記

  • 1.本稿のオリジナルは、独立行政法人 航空宇宙技術研究所(現宇宙航空研究開発機構 研究開発本部)の広報誌「なる」1999年12月発行に掲載されたものです。

  • 2.ナショナル・ジオグラフィック日本版1998年1月号の記事を参考としています。

  • 3.HOPE-Xについては、その後、計画凍結となっています。詳しくはウィキペディアのHOPEの項http://ja.wikipedia.org/wiki/HOPEを参照下さい。

  • 4.アメリア・イアハートとロキード・エレクトラの写真を、http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ec/Amelia_Earhart_-_GPN-2002-000211.jpgでご覧いただけます。

丹尾 新治

丹尾新治
執筆者
元社長丹尾新治