今から40年ほど前の話ですが、ロケット打上げ作業におけるある勇者達の話(その2)を書いてみましょう(勇者達の最初の話は、第10回の宇宙こぼれ話に書きました。)。
1986年2月8日(火)の夕方を目標にN-II(エヌニ)ロケット7号機の打上げ準備をしていたときの話です。
N-IIロケットの概要については下のURLを参照願います。
https://www.jaxa.jp/projects/rockets/n2/index_j.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/N-II
N-IIロケットの第1段の燃料はRJ-1(アールジェーワン:灯油の仲間でジェットエンジンなどに使われます。)、酸化剤は液体酸素(LOX:ロックス)です。RJ-1は打上げ日以前にロケットに充填されており、打上げ当日に充填するのはLOXでした(第10話にあるN-Iロケットと同じですが、タンクが大きくなり充填できる容量が多くなっています。)。
LOXは沸点がマイナス183℃と非常に低温で、第1段エンジンのすぐ上にあるタンクに充填されます。そのため、LOXが充填されればタンク表面から冷気がエンジンに降り掛かります(タンクには断熱材などは施行されておらず冷気がそのまま降りてきます。)。エンジンにはその着火や燃焼をコントロールする制御機器類が装着されており、それらの制御機器に冷気が降り掛かり冷やします。余り冷やされると作動不良が起こるため、各々の機器にヒーターが巻かれておりそれを防いでいました。
なお、このヒーターはロケットが地上を離れる瞬間までの作動に限られ、飛行状態に入ると作動はしません(ヒーター用の電源は地上からのみ供給されます。)。つまり、これらの機器は、離陸後の飛行中は地上での加温(余熱)を頼りに規定以上の温度を保持するのです。
総員退避後にヒーターが作動しているかどうかを確認するため遠隔で電流値をモニターしたところ、どうもヒーターに流れているその電流値が予想より少ないかもしれない(つまり、複数あるヒーターが全て作動しているかどうかが解らない)状態が確認されました。発射管制棟(ブロックハウスとも言い、ロケットから100mほどの距離にある半地下状態の建物で、ここで打ち上げに関するあらゆる遠隔作業を行います。)に設置されている上記電流を確認する機器(エンジン・テスト・パネル)は全てのヒーター一つ一つの作動を確認するようには出来ておらず、各ヒーターに流れる電流の合計値を測るようになっていたためです(米国製)。よって、可能性としては、全て作動はしているのですが、電流値(合計)は少なく表示されることも組み合わせによってはあるわけです。
つまり複数あるヒーターが周りの温度に対応して電流が流れたり止まったりしている(家庭にあるサーモスタットと同じ原理)ので、電流値(合計)が小さくてもヒーターは正常に作動しているかも知れないのです。
逆に、もし作動していないヒーターがあれば、そのヒーターにより温められるはずの制御機器がそうなっておらず、ロケットが飛翔している間に規定以上に冷えすぎて作動不良を起しエンジンの燃焼に不具合が生じて、飛行不能になることも考えられます。
時は、スペースシャトルのチャレンジャー事故が起こった(打上げ時の気温に関する判断の誤りとも言われており、固体燃料のブースターロケットの接合面が冷えすぎて接合面にある“O”リングに何らかの異常が生じ、そこから爆発したものと考えられています。)すぐ後でしたので、いつも以上に慎重さが必要とされました。
対策会議の結果、ヒーターが作動しているか否かを実際に確認しに行くことになりました。ロケットには、第1段ロケットの燃料(RJ-1)、第2段ロケットにはエアロジン50(ヒドラジン系=猛毒)と言う燃料とNTO(四酸化二窒素=猛毒)という酸化剤がフル充填されており、あらゆる火工品(ロケットに装着されている火薬類を使用した機器。各段の分離やロケットが飛翔中に異常が出た場合に自爆するなどの機能のために装着されます。)が、いつでも発火出来る非常に危険な状態でした。そのロケットの最下方にあるエンジンセクションへ入り込み、人間の手でさわりヒーターが暖かいかどうかを確認するのです。まさしく決死隊です。
勿論、現在の打上げのレギュレーション(規程)ではこのようなことは許されていませんが、当時はまだ液体ロケットの黎明期と言ってもいい時代でしたから許されたのでしょう。
打上げ時の最前線の発射管制棟(ブロックハウス)から地下道を通り、ロケットの間際にある支援機械棟へ向かい、そこから地上に出てランチデッキ(ロケットが据え付けられている機構で、打上げ時には炎に包まれる)に上り、エンジンセクションのカバーの一部を取り外し、ヒーターに触ってみると言う決死の行動をしたのです。
その結果、作動していないヒーターが見つかり打上げは延期になりました。
あのまま打ち上げていれば打上げは失敗した可能性も十分にあったのです。勇者達の行動は人工衛星なども含め数百億円規模の科学的成果を救ったのです。延期した打上げは(このトラブル以外に天候の理由もあり、合計4日遅れの)1986(昭和61)年2月12日(水)に成功しました。
写真中央に写るN-IIロケットとその下のランチデッキ。
右下に写る建物が射場支援棟。
取締役 虎野吉彦
(2021年2月)