ロケットの打上げ前の組立作業や試験作業においては「整備制約条件」というものが規定されており厳格に守られています。この条件(「要求」と言い換えても良い)を満足しない場合は、次のステップには進んではならないのです。その項目は膨大にありますが、いくつかの例について解説を交えてお示しします。
まずは、N-I(エヌワン)ロケット時代(約45年前の1970年代)の話です。
その当時のN-Iロケットは、米国のソーデルタロケットの技術導入に基づき作られており、重要な機器・部品は米国からの輸入で、これらを除く部品や機器は米国に「権利使用料(ロイヤリティ)」を支払い国内で製造・組立されていました。勿論、整備制約条件も米国(正確にはソーデルタロケットの製造・運用を行っていたマクドネルダグラス社[当時])のものを使用していました。
当時、私が担当していた第1段推進系において定められた制約条件の一つに「第1段タンクに液体酸素(LOX:ロックス)を充填し始めてからエンジン点火(打上げ)までに270分を経過してはならない。」というものがありました。つまり、LOXを充填したら270分(4時間30分)以内に打上げなければならないのです。
制約時間を延ばせればそれだけ打上げチャンスが増えるので、何故このような制約があるのかと疑問を持ちました。
4時間30分とは十分長い時間だとお思いでしょうが、LOX充填後から打上げまでに様々な点検があり、当然トラブルも生じることもあり、あっという間に過ぎていく時間なのです。
LOX充填から打上げまでに時間制限があるのは、次の理由から理解できました。
N-Iロケットの第1段機体は、上部に燃料のRJ-I(アールジェーワン)(*1)タンクがあり、下部にLOXのタンクがありました。RJ-Iは、上部タンクから第1段機体最下部にあるエンジンまでLOXタンクの中を貫通している配管(パイプ)を通して供給されています。
打上げ前(RJ-Iが配管中に留まっており、エンジンの方へ移動しない状態にあります。)には、配管の外側にあるLOX(沸点は-183℃)によりRJ-I(*2)が冷却されていき、ある時間を経過すると固化して流れなくなるのです。
(*1)灯油系の燃料で、打上げの数日前にはタンクに充填される。
(*2)凝固点(固化する温度)は、現在資料を持ち合わせておらず
記憶にもないが、灯油のその値(-40℃以下)程度と推定される。
270分の理由(どういう条件で計算すると270分になるのか)を知りたかったのですが日米の協定により開示はしてもらえないのです。
その配管がどのように断熱処理されているかが解らなければ270分と言う制約時間の根拠も解りません。
でもそこは一応技術者ですので、収集し得た色んな情報と仮定を用いてほぼそれに近い数字を導き出せましたが、あくまでも仮定が含まれているため、制約時間の延長への反映は出来ませんでした。
話題のもう一つは、「クルーサーティフィケーション」というものです。日本語で意訳すれば「要員訓練の有効期間」とでも言えば良いかもしれません。
ロケットの打上げ1週間前頃にはリハーサル(打上げ当日と同じ作業を行うが、エンジンには点火しない。すなわち、打上げ直前[エンジンの点火直前]までは実際の打上げと同じ作業を行い、要員の訓練とロケット・設備の確認を行う)を実施しますが、そのリハーサルに参加した(主に)制御卓操作要員の(いわば)有効期限が「21日(3週間)」と規定されていたのです。
もし実際の打上げがリハーサルの日から21日を超えたら、再度リハーサルをしなければならないということです。
別に人種差別をするつもりではありませんが、優秀な日本人がたった3週間で訓練したことを忘れるはずはない、と言うのが私を含めた当時の皆が考えたことですが、技術導入のためクルーサーティフィケーションの期限を延ばすことは出来ませんでした。
リハーサルも実際の高価なガス(例えば、ヘリウムガス)や液体(例えば、LOX)を使用するし、人件費も膨大に必要でした。しかもその準備と後(あと)処置に数日を要するため、数千万円から1億円の経費にのぼりました。
クルーサーティフィケーションの期限を延ばせれば、打上げ延期の際の経費削減に繋がるのですが、当時はそれが出来きませんでした。
現在運用中のH2Aロケットは、純国産ロケットであることや自動カウントダウン(打上げ直前のクリティカルな作業は自動的にコンピューターが実施する)などが大きな利点となって、クルーサーティフィケーションは設定されていません。
更にもう一話。「おむつを着けたロケット」の話です。
これは日本のロケットで始めて液体水素を用いたH-Iロケットの話です。
H-Iロケットについては下記を参照方。
https://ja.wikipedia.org/wiki/H-Iロケット
https://www.jaxa.jp/projects/rockets/h1/index_j.html
そのH-Iロケットの1号機に第1段の燃料であるRJ-I(灯油系)を充填したときの話です。充填は打上げの数日前に行われます(因みに酸化剤の液体酸素[LOX]は打上げ当日に充填されます。)。
RJ-I充填後のエンジンセクション(エンジン等が設置されている部分)内部の点検に於いて、燃料タンクからエンジンに至る配管の途中の継手部からRJ-Iの漏れが確認されたのです。灯油系は本来無色ですが、RJ-Iはわざとオレンジ色(正確には「スーダンオレンジ」と言う。)に着色させており、漏れを把握し易いようにしていたのです。
問題はこれをどう処理するかです。最も直接的な解決方法である配管の継手部のシールを交換する修理をまず実施し、漏れ量は大幅に低減しましたが、まだ漏れていました。漏れたと行ってもにじみ出る程度ですが、結局、今後の打上までの地上での試験の条件とエンジン始動(打上げ)から第1段分離までの条件での漏洩量の将来予測を行い、処置を決めることになりました。
種々の解析と検討の結果、漏洩部に(たとえて言えば)「おむつ」を着けたのです。おむつにより、漏れ出てくるRJ-Iが他に悪影響を与えないようにしたのです。
打上げは、他のトラブルと天候の理由により7日間延期され、1986年8月13日に打上げられ成功しました。
我が国では今のところ最初で最後の「おむつ」をはいたロケットでした。
もしかしたら世界でもそうかもしれませんね。
取締役 虎野吉彦
(2021年2月)